どんな本?
「怖い絵」で人間を読む 著 中野京子のレビュー記事です
なかなか迫力のあるタイトルですよね。この本は「絵画を歴史として読み解く、これまでと違う光りを当ててみる、そこから新たな魅力が発見できるのではないか」というポイントから絵画とそれにまつわる歴史の解説がされている一冊です。絵画から歴史を読む為の視点に「怖さ」が選ばれており、描いた画家の背景を踏まえ、なぜその一枚が描かれたのかを考察しています。絵画といえば想像される○○派という様な解説はほとんどありません。絵画と歴史のわかりやすい解説が読みやすく、新しい発見のある一冊です。
歴史好き・絵画好きどちらにもオススメの一冊
著者の中野京子さんは独文学者でもありますが、独特の視点で引き込まれる絵画とわかりやすい歴史解説の本を複数出版されています。今回ご紹介する本書はフルカラーで有名な人物が描かれた絵画を扱っており、とても読みやすいです。
今はコロナの為に海外の美術館に行くことは難しいですが、パリへの旅行の場合はほとんどルーブル美術館やオルセー美術館、以前私も記事に少しだけ書かせていただいたコンシェルジュリーなどに行かれると思います。アフターコロナに行く予定がある方は今のうちに是非読んで頂きたい一冊です。
実際の美術館でみる絵は世界史便覧で見る絵とは全く違います。
その大きさ、筆使い、色の美しさ、画家の気概を感じます、そこにこの歴史の知識があったら美術館は100倍楽しくなります。何回も通っちゃうほどです!
絵画の「怖さ」から歴史を読む・実践編
私自身がすごく勉強になった「絵画から歴史を読む」視点の大切さについて、本書の視点を参考にいくつかの絵画をあげて実践をしたいと思います。テーマはマリ・ーアントワネットです。
悪意の肖像 「マリー・アントワネット最後の肖像」
まずは、こちらのデッサンをご覧ください。
この絵に描かれた女性は「ロココの薔薇」と讃えられたマリー・アントワネットです。ルイ16世の妃として幼くして祖国オーストリアからフランスに来たアントワネットは、当初は熱烈に歓迎されたものの、のちにフランス革命の渦に巻き込まれ夫のルイ16世の処刑後、子ども達を残してギロチンの露と消えました。
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絵画を見てどう感じるのかを操作する力がある事を理解する大切さ
この絵は私もパリで見たことがあります。ヴェルサイユ宮殿で見た華やかなマリーアントワネットの肖像とかけ離れたこの絵は衝撃的でした。
鉛筆で描かれたデッサンは、目の前を廃位された王妃が荷車で引かれていく瞬間に急いで描かれた事を想像させ、オーストリアハプスブルク家出身の生粋のプリンセスが華やかで美しい宮殿の生活から、罪人として荷車で引かれ、革命広場で処刑される運命を待つ無念さを感じさせます。納得はしていなくて、でも運命として受け入れている様に見えました。それを私は「恐ろしさ」として感じたのを覚えています。
しかし、この絵の本当の恐ろしさはそこでは無かった事に後に気付かされたのです。
まさに革命広場に荷車で引っ立てられる彼女を、パリの街角から鉛筆で描いた画家の名前はジャック=ルイ・ダビット。多くの方が(私も!)この絵を街角に居合わせた画家の青年がササッと鉛筆でデッサンしたからこそ、その姿を忠実に表していると思いがちです。
画家ジャック・ルイ=ダビットという人物
この絵から歴史を読む為に画家のジャック=ルイ・ダビッドという人物について知る必要が出て来ます。
著者の中野京子さんはウィーン生まれのユダヤ系作家のシュテファン・ツヴァイクの伝記文学の中の「マリー・アントワネット」の新訳に取り組まれています。ツヴァイクがジャック=ルイ・ダビッドがこの肖像を描いた経緯についてはこの様に訳されています
サン=トノレ通りの角、今日ではカフェ・ド・ラ・レジェンスの立つあたりで1人の男が鉛筆と一枚の紙を手に待ち構えている。ジャック=ルイ・ダビット、最も卑怯な人間の1人であり、当時最大に画家の1人でもある。(中略)
この悲しい英雄は臆病風によってギロチンを免れるのだ。革命の間暴君たちの強烈な敵であった彼は、新しい独裁者が現れると真っ先に向きを変え、ナポレオンの戴冠式の絵を描く報酬として「男爵」の称号を手に入れ、それと同時にかつての貴族憎悪を放り投げてしまう。(中略)
しかし下司根性の持ち主で、卑怯な情けない心の持ち主とはいえ、この男は素晴らしい眼と狂いない手を持っている間に合わせの紙にほんの一筆で彼は、断頭台への途上にある王妃の顔つきを、不滅のものに写しとる。それは不気味な熱い力で、人生から切り取った、恐ろしいほど見事なスケッチだ。
「マリー・アントワネット」下 中野京子訳 角川文庫
このスケッチを描いた時のダビットは熱心なジャコバン派の闘士でした。ジャコバン派とはフランス革命期にできた政治党派の1つでロベスビエールが中心となって財産の平等や身分の廃止などをうたって民衆に広く支持を得ました。
しかし、クーデターでロベスビエールが処刑されると、家に引きこもってギロチンを逃れ、ナポレオンの時代となると新皇帝を讃える絵画の依頼を嬉々として引き受け、その報酬として「男爵」の位を恥ずかしげもなく手に入れました。
ダビッドの描いた有名な絵画をご覧ください。
ルーブル美術館に所蔵されています。とても巨大な絵画です。この絵を見る限りダビッドの人間性はさておき、絵画の腕は確かであったと言えるのではないでしょうか。
そんな人物にアントワネットは最後の肖像を描かれてしまいました。
この背景を踏まえて、もう一度よく上の肖像を見てください。
マリーアントワネットの生家であるハプスブルク家の特徴である受け口や鷲鼻、ギロチンの刃が滑らない様耳の後ろで無造作に切られた髪の毛、老いの象徴である首に刻まれた皺、そしてへの字に描かれた口はアントワネットがどことなく意地悪に見える表情です。
この肖像はダヴィットの確かな筆さばきによって、あたかも街角に居合わせた第三者がデジカメで撮影したかの様に思いがちですが、それは違います。当時王侯貴族を憎んでいたダヴィットが、廃位された元王妃が通るのを待ちその姿を描いたのです。どうしてパリでこの絵を見ている時、そんな憎悪がこの絵に込められていると気が付かなかったのでしょうか。
本当に当時のアントワネットがこの姿であったという証拠は何もないのです。
描かれた姿から自分なりの考えを持つ
ただ1つ、ダヴイットが期せずして正確に描いたものがあります。それはアントワネットの凜とした姿勢です。
ギロチン台に向かう荷車の上であるにもかかわらず彼女の姿勢はまるで玉座の上にでもいる様です。
ハプスブルク家のプリンセスとして、またフランス王妃としてその運命を受け入れようとする姿をダヴィットは知らず知らずの内に後世に残してしまっていたのですね。
マリー・アントワネット最後の言葉は、死刑処刑人シャルル=アンリ・サンソンの足を踏んでしまった際に言った「お赦しくださいね、ムッシュウ。わざとではありませんのよ(Pardonnez-moi, monsieur. Je ne l'ai pas fait exprès.)」だったとされています。
長期に渡る幽閉でやつれてしまい、美しさを失っていたとしても、最後の瞬間まで誇り高くあろうとする姿勢や人を気にかける言葉には本当のマリー・アントワネットの姿が反映されている様に思えます。
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