今回のルート
(朝ごはん)ヨリドコロ→ 極楽寺→ 成就院→ 御霊神社→長谷寺(休憩TERAYA CAFE)→ 光則寺→ 高徳院→(遅めランチ)m’s terrace Kamakura
次の目的地御霊神社はそんなに遠くありませんのでご安心下さい。
切通しから降りて来ると力餅屋という和菓子屋さんが見えて来ます、そこを左に曲がって下さい。そのまま真っ直ぐ行くと見えて来ます‼︎
御霊神社の参道前を通る江ノ電
江ノ電って本当に民家や神社のすぐ近くを通っていますよね。それが自然にあるってすごい事だと思います。
電車と神社ってミスマッチに思いますが、妙にマッチしていてこれぞ鎌倉!という感じがします。御霊神社の創建は平安末期ですので、その頃の方々は将来のこんな景色想像もしなかったはずですが、長い時間をかけてこうやって景色って出来ていくんですね。
中は多くの境内社が立ち並んでいます。
ここで注意したいのが。野生のリスです。
特にお子様お連れの方は近づいたりしない様、予め教えてあげて下さいね!
野生動物に近づいてはいけません。北海道ではキタキツネが可愛らしい姿で見られることがありますが、エキノコックスを持っている為、地元の子供たちは絶対に近付きません。また、海外の野犬は100%狂犬病を持っていると思い、細心の注意を払う様言われて来ました。野生動物はどんな病気を持っているか分かりません。また私達がうつしてしまう可能性もあるので、遠くからそっと眺めるだけにしましょう。
Emma MEMO
御霊神社
御霊神社の御祭神である鎌倉権五郎景正公は、桓武平氏の流れを汲み、平安時代後期に鎌倉・湘南地域を開発した領主。
御霊神社のある坂ノ下を含む湘南一帯は鎌倉武士団を率いた関東平家五氏が開いた地であった。その五氏とは鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏の五氏。この五氏の祖神である五霊を祀る神社であったものが同じ音の「御霊神社」になったとも、やがて御祭神が鎌倉氏の景正公のみになり景正公の通称であった「権五郎」が訛り「御霊」となったとも言われている。
鎌倉権五郎景正公について
源義家に仕え「鎌倉武士の鏡」とも称された武将で、超人的エピソードをいくつも残している。中でも後三年の役の合戦を描いた「奥州後三年記」に残るエピソードが最も有名。
16歳で出陣した景正公は金沢柵の戦いで左目に矢を受けながらも、返す矢で敵を倒し自陣に戻った。味方の三浦平太が顔に足をかけて矢を抜こうとしたところ、「矢に当たって死ぬのはつわものののぞむところでござる、面を足で踏まれることなどない」と叫び続けたので、三浦は驚いて手で顔を抑え矢を抜いた。これは多くの人が目撃しており景正公の武勇が知れ渡ることとなった。
こちらでは御朱印は通常通りに社務所で御朱印帳に書いていただけます。
また、景正公の命日に当たる9月18日は独特なお面をつけて練り歩く面掛行列が行われる事でも有名です。
さて、先ほど目印として上げさせていただいた力餅屋さんには「権五郎力餅」という力自慢だった景正公にちなんだお餅が売られています!なんと江戸時代から鎌倉のお土産として親しまれている老舗で、こちらもオススメです!
次は長谷寺です。
朝から歩きっぱなしで疲れてくる頃ですね。
実はこの界隈で一休みできるかなっていうカフェを探しながら歩いていたのですが、見つからずに結局そのまま長谷寺まで歩きました。(定休日だったところもあるので完全に無い訳ではありません。)
ただ、住宅地の中を進むようなルートでもありますので、街中ですぐにあるカフェ等はありません。私は結局一気に長谷寺まで行ってしまいました。
今日もご覧いただきありがとうございました!
Emma