今回のルート
(朝ごはん)ヨリドコロ→ 極楽寺→ 成就院→ 御霊神社→ 長谷寺(休憩TERAYA CAFE)→ 光則寺→ 高徳院→(遅めランチ)m’s terrace Kamakura
光則寺
道順
長谷寺の一筋奥の参道を緩やかに登っていくとすぐに見つけることが出来ます。
光則寺は文永11年(1274) 頃、5代執権北条時頼の家臣・宿屋光則の屋敷を寺に改めたのが始まりです。
4月のカイドウや、梅·ハクウンボク・ヤマアジサイなどの草木が美しく、境内から石段を上った裏山には、日蓮聖人が佐渡へ流された際に弟子の日朗上人を幽閉した土牢もあります。
今回は時期的に光則寺のお花の時期ではなかったのですが、ここは隠れた紫陽花の名所です!お隣にある長谷寺は紫陽花でとても有名ですが光則寺はそこまで有名では無い為かあまり混雑しません。紫陽花の時期にこのルートを使われる方は是非お越しください!
拝観料は100円です。無人ですので、山門にある箱にご自身でお納めください。
足元が凸凹が多いです。歩きやすい靴をご用意ください。また、もし夏にお越しになる場合は虫除けがある方がいいですよ!
光徳院
道順
光則寺からでて元の道を戻ります。大きな通りに出たら長谷寺側を背に大きい道に沿って歩きます。少し歩くと両サイドにお土産物のお店が増え始めます。光徳寺の山門は右手に見えて来ますよ。
光徳院の仁王門が見えてきました!
18世紀の初頭一対の仁王像と共に移築されたと伝えられています。
すごい迫力です!
高徳院の境内には一般の寺院にある堂宇はほとんどと無いのです。仁王門をくぐり、拝観料を納めて境内に入ると参道がそのまま美しい庭園の様な境内の中に座している大仏に続いています。
秋の訪れを感じる木々にも見とれてしまいます。
ゆっくり歩いているとついに見えてきました
謎の多い鎌倉の大仏さんですが、与謝野晶子が「美男におわす」と詠んだ通りの綺麗なお顔です。
Emma MEMO
高徳院
「鎌倉大仏」「長谷の大仏」として知られる鋳造阿弥陀如来坐像(国宝です)を本尊とする浄土宗の寺院。寺の開創年と開山・開基についてはいずれも資料が乏しく不明な部分が多い。初期は極楽寺の忍性など密教系の僧が住持を勤め、その後建長寺の末寺になった。江戸時代の中期に浅草の商人の喜捨を得て江戸・増上寺の法王祐天が再興し浄土宗関東総本山である材木座の光明寺の末寺となった。
大仏について
造立について時期や原型作者は特定されていない。最も古い記述では1238年に深沢の里で大仏堂の健立が始まり5年後に大仏の開眼供養が行われたとの記述があるが、この大仏は木造でやがて嵐で倒れてしまう。その後1252年に金剛八丈釈迦如来の鋳造が始まったと記されているが、この釈迦如来は阿弥陀如来の間違いでこれが現存する大仏であろうというのが定説(吾妻鏡より)
しかし、大仏殿がいつごろ失われて今の様な露坐になったのかの記録ははっきり残っていない。
1959年から2年にわたって保存修理と境内の発掘調査が行われた結果大仏殿の基礎を据えた根固めの遺構が発掘されたことで大仏殿が存在したことが明らかになった。
大仏殿の礎石8基が大仏の左右に置かれている。
ところで、9月だというのに桜が咲いていました。
そういえば、今年の桜の頃はコロナで全然人の訪れがなかったことでしょう。少しずつ人が戻り初めているのを見て、思わず咲いてしまったのかもしれませんね。
m's terraceで遅めランチ
高徳院を後にしたところで遅めのランチを取りました。
高徳院のすぐそばにこの様な看板を見つけ、行って見ることにしました。
この赤い看板通り進んでいくとのぼりの出ている可愛らしいカフェが見えてきます。
こちらでいただいたランチプレート。ピーマンの肉詰めが大好きな私にとってたまらない一品でした。安寧芋のポタージュもとても美味しかったです。
こちらのお店ではお料理教室もされている様です。ご興味のある方はぜひホームページもご覧ください。
さて、全5回で江ノ電で行く大仏さんに会えるお散歩旅をご紹介させていただきました。極楽寺から始まり、忍性が開いた切通しを抜けて大仏さんに到着するまで自然いっぱいのルートでした。
この後お時間がある方は鎌倉に戻って小町通り周辺も散策できますし、このままお帰りになる場合は少し早め帰宅も可能です。
今日もお越しいただきありがとうございました。
Emma