ピアノの詩人ショパン最後の部屋。ヴァンドームにひっそりと・・・
ショパンという作曲家の名前を一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
高級ブティックが立ち並ぶ豪華なヴァンドーム広場の一角に、その最後の地を示す石版があるのをご存知ですか?
場所はヴァンドーム12、現在はCHAUMETが所有しています。残念ながら非公開。ここを所有するCHAUMETは創業240年のパリ発老舗ジュエラーです。元々は現在オテルリッツがあるヴァンドーム15に店舗を構えていましたが、1902年に現在のヴァンドーム12に移転しました。
この建物は元々海軍提督の邸宅として作られたものでした。ショパンが引っ越したのは1849年の9月であったと伝えられています。観光に訪れるとヴァンドーム広場の豪華な佇まいに目が眩んでしまい、私も最初は全く気が付きませんでした。しかしよく探すと・・・ありました。
本当にひっそり掲げられているので見逃し注意です
少し遠いので、拡大してみましょう。
この小さな石板にはフレデリック フランソワ ショパンが1810年2月22日ジェラゾヴァ・ヴォラに生まれ(ポーランド)1849年10月17日この家の中で亡くなったという内容が刻まれています。引っ越した翌月に亡くなっている様です。
とても病弱であったショパンは「健康で強い体があれば毎日喜んで働く」という言葉を残しています。病弱であったが為に、諦めなければならない事が沢山あったのだろうと想像させる言葉です。それを常に感じていたからこそ、39年間の人生でがむしゃらに曲を作っていたのかもしれないと思います。
離れていても祖国を愛する有名なエピソード
革命のエチュードは皆さんも一度はどこかで耳にした事があるのではないでしょうか。こちらの曲です。
この曲は11月蜂起でのロシアによるワルシャワ侵攻にほぼ同じくして公表されました(1831年)。ショパンは病弱であった為、暴動に参加することはできませんでしたが、その怒りの感情を作曲した多くの作品にぶつけたとされています。
この革命のエチュードはその中でも最も有名な曲ではないでしょうか。ポーランドのロシアに対する革命が失敗に終わったとき「これは私に多くの痛みを残した。それを分かっていたのかもしれない!」と泣いたと伝えられています。
知っているともっと楽しめる!関連Point
ショパンは画家のドラクロワと友人関係にありました。ドラクロワは当時ショパンとその恋人であったジョリュジュ・サンドを一枚の絵に描きました。しかし、二人の破局により絵はそれぞれの人物に分けられ、ショパンの絵はルーブル美術館に、ジョリュジュ・サンドの絵はデンマーク王立美術館に所蔵されています。この地を訪れた後にルーブルでドラクロワが描いたショパンの絵を見るのも良いですね。きっと背景を知って見るとまた違って見えるはずですよ。
ショパンは数多くの素晴らしい音楽を残してくれただけでなく、健康に働けることが当たり前では無いことを思い出させてくれます。忘れてしまいがちですが、こうやって旅をしてその記事を作ることが出来る事にも感謝の気持ちを持たなければいけないですね。
Emma
どこにあるかCheck
目印は宝石店CHAUMETです。警備員がいても堂々とプレートを探して下さい。