パリに旅行した事がある方はこの時計に見覚えがあるのではないでしょうか。
最初の公共大時計
この時計はシテ島にあるコンシェルジュリーの時計塔の側壁にあります。位置はパレ大通りとオルフェーヴル河岸通りの角。現在コンシェルジュリーはパレ・ド・ジュスティスの一部となっています。
パレ・ド・ジュスティスは(日本語では司法宮)現在も複数の司法機関が入る現役の場所です。ここは元々カペー朝時代の王宮だったシテ宮に起源があります。調理場付きの大広間、コンシェルジュリー、サント・シャペル、複数の塔及び様々な建物の用地など王宮当時の遺跡が残っており、ノートル=ダムも近くにある事からパリの観光の重要ポイントなのです。
さて、そんな場所にあるこの美しい時計ですが。1371年、時の国王シャルル5世がパリ市民に贈ったものなのです。ロレーヌの時計職人アンリ・ドゥ・ヴィックに設置させました。
そのおかげで市民達は日時計が使えない曇りの日でも、はたまた夜間でさえ時間を知る事ができる様になりました。この大時計は15分毎に鐘の音を鳴らし、遠くからやって来た人たちはその鐘の音に聞き惚れたそう。
この大時計は2体の寓意像(抽象的な事柄を表した像)で飾られています。それは、「法」(左側)と「正義」(右側)の像です。
まさしくこの建造物にあるべくしてある物なのですよね。最初は私も知らず、立派な時計だな〜と思って通り過ぎてしまいました。
この時計は幾度か修理、修復をされて来ています。その時期は1742年、1585年、1685年、1852年、1909年、2012年です。1371年にシャルル5世が最初の公共大時計としてパリの市民にプレゼントした時計がこうやってずっと修復されて使用され続けているというのは奇跡的な事だと思います。
1371年と言えば日本はまだ室町時代ですよね。そう考えると、当時のヨーロッパの技術力の凄さにため息出ます。
ところで、1370年ヨーロッパでだって時間の正確さへの概念なんて無かったと思われる時代に「市民に公共時計を贈ろう」と考えたシャルル5世ってどんな方だったのか気になりませんか?
シャルル5世は身体は虚弱体質だった様ですが、とても賢い国王で「賢王」と呼ばれています。教養にも秀でており、治世では現在の税金の基礎となる制度を作り、常備軍や官僚層を作り絶対王政のさきがけを作った人物でもあります。現在まで使われる制度の基礎を考える様な国王だからこそ、「時間」の大切さを臣下や市民にも広めたいと思ったのでしょう。
私も今ある時間を大切にしたいと思います。
ある場所をCheck!
交差点の頭上にあります。見とれすぎて横断歩道の真ん中で立ち止まらない様にしてくださいね。
フランスの横断歩道はすぐ渡れなくなります!
参考図書:パリ歴史文化図鑑 パリの記念建造物の秘密と不思議 著 ドミニク・レスブロ
Emma